大阪高等裁判所 平成2年(ネ)444号 判決 1991年11月08日
控訴人(反訴原告、以下「控訴人」という)
寺尾克子
右訴訟代理人弁護士
米田宏己
同
西信子
同
北薗太
被控訴人(反訴被告、以下「被控訴人」という)
寺尾彌太郎
右訴訟代理人弁護士
中西清一
同
小林俊康
同
松本誠
同
佐藤裕己
主文
一 控訴人の本件控訴を棄却する。
二 控訴人が被控訴人の養子であることを確認する。
三 控訴費用は控訴人の負担とし、反訴費用は被控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
(控訴の趣旨)
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の本訴請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
(予備的反訴請求の趣旨)
1 控訴人が被控訴人の養子であることを確認する。
2 反訴費用は被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
(控訴の趣旨に対する答弁)
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
(予備的反訴請求の趣旨に対する答弁)
1 控訴人の反訴請求を棄却する。
2 反訴費用は控訴人の負担とする。
第二 当事者の主張
次に付加する他は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人の主張
被控訴人の本訴請求は、以下に述べるとおり、権利の濫用であって許されない。すなわち、
1 被控訴人は、控訴人を被控訴人の跡継ぎ(被控訴人の養子となる者と婚姻し、寺尾姓を名乗り、寺尾家の中心として主たる財産を承継する者)とすべく迎え入れ、育ててきた。
控訴人は、被控訴人が次々と設立する福井自動車株式会社、協栄商事、協栄不動産株式会社の経営を手伝ってきたが、それは、控訴人が被控訴人とその妻亡花子夫婦から、右家業の後継者として処遇を受けていたのと同時に、跡継ぎとしてその手伝いが義務付けられていたからである。いわば、控訴人は、被控訴人とその妻亡花子と親子として生活するなかで、職業選択の自由を事実上放棄し、また、放棄することは当然と考える生活をしてきたのである。特に、福井自動車株式会社が倒産して多額の負債が残った際にも、控訴人は、一貫して家業に従事し、その後、協栄商事や協栄不動産株式会社の経営で寺尾家の財産を形成するのに大いに貢献してきた。
2 控訴人は、長期間にわたる被控訴人夫婦との親子としての生活の中で、控訴人の結婚の相手は、被控訴人夫婦と養子縁組を結ぶことが当然のことと受け止めていた。そして、控訴人は、訴外幸雄と結婚したが、控訴人夫婦は、周防ビル完成後は、同ビルで、被控訴人夫婦と同居し、さらに協栄ビル完成後は、被控訴人の命で、管理人として同ビルに移住し、同ビルの管理を行ってきた。
3 被控訴人と亡花子との間には、控訴人の他に戸籍上の第二子として、節子がいたが、節子は、亡花子の妹キクと被控訴人との間の子であったため、亡花子は、自然と控訴人を可愛がり、実子として控訴人を養育してきた。
昭和六一年一月二八日、被控訴人が再婚話を持ち出した時、控訴人が反対したのは、そのような亡花子の気持を考慮したためである。なお、亡花子は、その生前に、控訴人を終始実子として扱い、死亡直前には、控訴人夫婦に対し一〇〇〇万円を贈与したが、このような亡花子の養育態度に照すと、被控訴人が、本件訴訟で、控訴人が亡花子の実子であることをも否定するのは、亡花子の意思に反することは明らかである。
4 控訴人は、被控訴人と亡花子の実子として戸籍に届けられて以来、真実の親子関係と同様の生活関係を継続して、すでに五〇歳を越え、控訴人の子もすでに成人に達している。控訴人は、被控訴人を実の父親と思えばこそ、親の言葉に従い、言われるままに生活をし、家業を手伝い、父母にも家にも尽くしてきた。控訴人の子も、また被控訴人と亡花子を祖父母として接してきた。五〇年にも及ぶ右の長い生活と歴史は、被控訴人と亡花子を実父母とする生活関係の上に成り立っている。
5 いかなる動機があるにしても、「自分の子ではなく、弟の子である。」との被控訴人の一言や、「私の子である。」との被控訴人の弟寺尾清の自責の念の全くない一言によって、控訴人の人生が一変するのであれば、控訴人は、今まで、誰と何のために生活し暮してきたのか、家に尽くしてきたのは何のためか、呆然とせざるを得ない。全く責任のない、何も知らない控訴人やその家族を、被控訴人の自分勝手な無責任な都合によって弄び、一生を翻弄することは許されるものではない。
したがって、控訴人が被控訴人と亡花子の実子であることを否定するのは、五〇年にもわたる従来の親子関係、生活関係を根底から覆すものである。
とりわけ、特別養子制度の導入により、控訴人のような事情の下に、養子を実子としたいとの社会的要請が法的利益として是認された現時点では、戸籍と実体を一致させるとの公益的要請は、特別養子制度によって保護される法的利益のために、譲歩すべきことが求められているのである。
6 本件訴訟は、控訴人夫婦が、協栄不動産株式会社の株主であり、協栄ビルの底地が控訴人夫婦の共有であると主張したことに対する報復として提起されたものである。それ故、被控訴人の経済的主張を控訴人夫婦が認めれば、本件訴訟は取り下げるというのが被控訴人の一貫した主張であった。すなわち、被控訴人は、自己の経済的主張を控訴人夫婦に認めさせる一手段として本件訴訟を提起したにすぎない。被控訴人と控訴人双方の代理人間の話合いの中でも、被控訴人の要求する一定の条件を控訴人が受諾すれば、被控訴人は本件訴訟を取り下げることを常に表明していた。被控訴人の意思は、控訴人との親子関係を拒絶したいのではなく、財産関係を含め、控訴人を従来通り被控訴人の支配下に置きたいというにすぎない。
7 以上1ないし6の諸事実を総合して考えれば、被控訴人の本訴請求は権利の濫用以外の何物でもない。
二 被控訴人の認否
控訴人の右主張は争う。
三 当審において追加された控訴人の予備的反訴請求原因
1 控訴人は、昭和一四年七月二日に出生したところ、被控訴人は、同月一一日、控訴人を被控訴人と妻亡花子の嫡出子の長女としてその出生届をし、その旨戸籍に記載されて、以来五〇数年間、亡花子とともに、控訴人を実子として養育し、その情愛も深く、控訴人も、被控訴人と亡花子の実子であることに何らの疑いを抱くこともなく、親子関係を継続してきた。
2 右のような実態にある場合には、仮に控訴人と被控訴人及び亡花子との間に実親子関係が存在しないとしても、被控訴人夫婦のした嫡出子出生届は、養子縁組届としての効力を有する。けだし、他人の子を貰って、自己の実子として養育していくために嫡出子出生届をする場合には、控訴人の代諾権者である実父母と被控訴人らとの間に養親子関係以上の結び付きを形成しようとする合意、少くとも養親子関係を形成しようとする合意が存するのは当然であり、本件各縁組当事者にも、この縁組意思が存在した。
3 しかも、養子縁組の届出は存在しないが、養親子関係よりも大きい嫡出の実親子関係の届出がある以上、この間に転換を認めるべきである。
法が、そもそも養子縁組に届出を要求し、要式行為としている理由は、(イ)意思表示のされたことを確実にするため、(ロ)行為のされたことを公示するため、(ハ)縁組の要件審査の目的にあるが、嫡出子出生届をする場合は、少くとも養親子関係を形成しようとする合意のされたことが明確にされていると考えられるし、また、公示の目的は、養子との身分上の地位は、離縁の可能性を除き、嫡出子と大差はないから、養子が実子として戸籍に登載されても、その目的は達成されたということもいえるし、さらには、要件審査の目的については、事後的に家庭裁判所の許可を受ければ足りることであり、いわゆる「藁の上からの養子」に関しては、現行の許可制度はそれほど積極的な役割を果たしているものともいえない。
4 以上要するに、虚偽の嫡出子出生届にも、養子縁組の成立を認め、実子として届出られ、社会的にも、長年、実親子としての生活を継続してきたような場合には、法律上の養親子関係の成立を認めるべきである。特別養子制度は、養子を実子として育てたいという社会的要請を是認する制度であり、右制度が法制化された今、虚偽の嫡出子出生届を養子縁組届に転換することを認めないことは、右制度が設けられた趣旨を没却することになる。
5 よって、控訴人は、被控訴人との間に実親子関係のない場合には、予備的に、控訴人が被控訴人の養子であることの確認を求める。
四 反訴請求原因に対する認否
被控訴人が、昭和一四年七月二日、控訴人を被控訴人とその妻亡花子との間の長女として、嫡出子出生届をしたことは認めるが、その余は否認する。
控訴人と被控訴人とは、亡花子が死亡する前から仲が悪く、また、控訴人は、二〇年以上も前から、控訴人が、被控訴人と亡花子との間の実子でないことを知っていた。
なお、嫡出子としての出生届を養子縁組の届けとして、その転換を認めることのできないことは、確定した判例理論である(最高裁昭和二五年一二月二八日判決・民集四巻一三号七〇一頁、同昭和五〇年四月八日判決・民集二九巻四号四〇一頁参照)。
第三 証拠<省略>
理由
第一被控訴人の本訴請求について
一<書証番号略>、原審証人寺尾清の証言、原審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果、当審鑑定人松本秀雄の鑑定の結果を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、
1 被控訴人(明治四二年三月二〇日生)は、昭和九年ないし一〇年頃、亡花子(大正元年一〇月一八日生)と結婚式を挙げて事実上の婚姻生活に入ったが、その後、数年間子供に恵まれなかったため、推定家督相続人であった被控訴人の立場を案じたその父亡寺尾弥吉の勧めで、当時、被控訴人と同じ旧満州国安東市で安東税関に勤務していた被控訴人の実弟寺尾清とその妻あや子夫婦の第一子を、養子として貰い受ける約束をした。
2 被控訴人と亡花子とは、昭和一三年七月二五日に婚姻届をして正式に結婚したが、翌一四年七月二日、寺尾清及びあや子夫婦の間に控訴人が出生したので、同月八日頃、早速控訴人を貰い受けて自宅に連れ帰った。そして、被控訴人らにおいて、控訴人の名前を、「克子」と名付け、同年七月一一日、被控訴人が、被控訴人と亡花子の嫡出の長女として、控訴人の出生届けをした。
3 当時、寺尾清夫婦は、控訴人を被控訴人夫婦の跡取りとしてその養子にする意思で、控訴人を被控訴人夫婦に渡し、被控訴人夫婦も、控訴人を養子とする意思で、右清夫婦から控訴人を貰い受けたが、被控訴人は、亡花子とも相談のうえ、控訴人を被控訴人夫婦の実子として育てるために、右の如く、控訴人を被控訴人夫婦の嫡出子(長女)として出生の届出をし、以後、被控訴人夫婦の実子として養育し、控訴人も、被控訴人夫婦を真実の父母と信じて疑うことなく、親子関係を継続してきた。
4 しかし、昭和六〇年一二月二九日に亡花子が死亡し、その後、後記のように、控訴人が被控訴人の再婚に反対したところから、被控訴人は、控訴人を被控訴人とその妻亡花子との間の実子ではないと主張し始め、被控訴人の弟の寺尾清も、控訴人が自己と妻亡あや子との間の子であることを認めている。
5 また、当審における鑑定人松本秀雄も、血液型検査(DNA型)により、控訴人は、寺尾清と父子関係が成立すると鑑定している。
以上の事実が認められる。
そうとすれば、控訴人は、戸籍上、被控訴人と亡花子との間の嫡出子(長女)として届けられているけれども、控訴人と被控訴人及び亡花子との間には、実親子関係はないといわなければならない。
二控訴人は、種々の事情を挙げ、被控訴人及びその妻亡花子と控訴人との間に実の親子関係のないことの確認を求める被控訴人の本訴請求は、権利の濫用であって許されないと主張する。
しかし、前記認定のように、被控訴人夫婦と控訴人とが実親子関係にないことが明白である以上、誤った身分関係を公示している戸籍の記載を訂正するためにも、また、対世的に真実の身分関係を明らかにするためにも、右実親子関係のないことの確認を求める強度の公益的必要性があるというべきであるから、控訴人主張の事情があるからといって、権利濫用を理由に、実親子関係のないことの確認を求める被控訴人の本訴請求を許さないとするのは相当でないと解すべきである。したがって、権利濫用に関する控訴人の主張は、理由がなく採用できない。
三よって、被控訴人及びその妻亡花子と控訴人との間に実親子関係のないことの確認を求める被控訴人の本訴請求は、正当として認容すべきである。
第二控訴人の予備的反訴請求について
一(1) 控訴人が、昭和一四年七月二日、被控訴人の弟の寺尾清及びあや子夫婦の間の子として出生したこと、(2) 右寺尾清及びあや子夫婦は、控訴人の出生直後、兄である被控訴人夫婦の跡取りとして、その養子にする意思のもとに、控訴人を被控訴人夫婦に渡し、被控訴人夫婦も、控訴人を養子とする意思で、右寺尾清及びあや子夫婦から控訴人を貰い受けたが、被控訴人は、亡花子とも相談のうえ、控訴人を被控訴人夫婦の実子として育てるために、右の如く、昭和一四年七月一一日、控訴人を被控訴人夫婦の嫡出子(長女)としてその出生届をし、その旨戸籍に記載されたこと、(3) 被控訴人らは、その後、本件紛争が起きた昭和六一年一月末頃まで、約四六年余りに亘り、被控訴人は、控訴人を亡花子との間の実子として、養育し、その成人後も実子としての生活関係を継続してきたこと、(4) また、控訴人も、被控訴人及びその妻亡花子との間の実子であることに何らの疑いも抱くことなく、被控訴人らとの実親子関係を継続してきたこと、以上の事実は前記に認定の通りである。
二ところで、養子縁組など身分行為の要式性は、戸籍制度とあいまって、創設される身分関係を戸籍上公示し、身分的法律効果を明らかにするとともに、その実質的成立要件の遵守を担保することを目的とするものであるから、一般的には、原則として、養子とする意思で他人の子を嫡出子として出生届出をしても、右出生届出をもって養子縁組の届出とみなし、有効に養子縁組が成立したものとすることはできない。しかし、子の実の父母(他人)と戸籍上の父母の双方が、真実、当該子を、戸籍上の父母の養子とする意思でその旨承諾し合ったのに、戸籍上の父母が、その子を嫡出子として養育するのが望ましいと考え、自己の嫡出子と全く同様の親子関係を形成する意思のもとに、便宜、その他人の子を、自己の嫡出子として出生届出をし、戸籍にその旨記載され、その後、戸籍上の父母と子が、長期間に亘り、現実に嫡出子として実親子関係と同様の親子共同生活を継続してきたような場合であって、かつ、それまでの長期間に亘る右実親子と同様の生活関係に鑑み、何ら合理的理由もないのに、突如として親子関係を全く否定することが、一般の社会通念に照らし、信義則上、不当であると認められるような場合には、例外的に、右嫡出子としての出生届出をもって養子縁組の届出とみなし、右出生届出の時に、有効に養子縁組が成立したものと解するのが相当である。
もとより、養子縁組は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによって、その効力の生ずる要式行為であって(現行民法七九九条、七三九条)、右は、強行規定であり、また、嫡出子としての出生届出と養子縁組としての届出とは、その形式を異にし、それが戸籍に記載されて外部的に公示された内容も異なるから、軽々しく、嫡出子としての出生届出を養子縁組としての届出とみなすことは相当でない。しかし、嫡出子としての出生届出も養子縁組としての届出も、法律上の嫡出子としての権利義務を有する親子関係を公示する届出であることには変わりはないのであって、嫡出の実親子と養親子の法律関係は、離縁をして親子関係を解消できるか否かの点を除き、全く同一の内容を有しているし、虚偽の嫡出子としての届出により、戸籍にその旨記載されていても、後日、養親子関係存在確認の審判・判決を得て、養親子関係に戸籍を訂正することも不可能ではないから、虚偽の嫡出子としての出生届出を養子縁組としての届出とみなすことも、法律上は全く不可能な解釈ではない。そして、戸籍上の父ないしこれに同意した母が、他人の子を、自己の養子とする意思で貰い受けておきながら、自からの都合で養子縁組としての届出をせず、自己の嫡出子として虚偽の出生届出をし、その後、何ら合理的理由もないのに、その一方的・恣意的な意思により、養親子関係を含む法律上の親子関係をすべて否定することができるとすることは、禁反言の法理に悖ることにもなりかねないし、また、一方、嫡出子として届出られている子にとっても、自らの意思によらないで、嫡出子としての虚偽の出生届出がなされ、数十年の長期間に亘り、戸籍上の親を真実の親と信じて養育され、かつ、成人した後も、引き続き戸籍上の父母と、実親子関係としての生活を継続してきたのに、右戸籍上の父母の一方的な意思により、突如として、一挙に親子関係のすべてが否定され、子の戸籍の消除訂正が行われて、子としての法律上の権利を一切剥奪され、裸一貫で、追い出される結果を招くことは、単に財産的ばかりではなく、精神的にも、子の利益を著しく害することになって、社会通念に照らし、著しく不当な結果を招くことになる場合がある。したがって、このような場合には、信義則上、例外的に、虚偽の嫡出子としての出生届出を養子縁組としての届出とみなして、右出生届出の時に、有効に養子縁組が成立したものと解するのが相当である。
三これを本件についてみるに、<書証番号略>、原審証人寺尾清の証言、原審における被控訴人、控訴人各本人尋問の結果(但し、原審証人寺尾清の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果中、後記信用しない部分は除く)、並びに、弁論の全趣旨によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
1 被控訴人は、亡花子と事実上の婚姻をした頃から、旧満州国牡丹江省牡丹江市で小規模の百貨店経営を営み、また、被控訴人の実弟寺尾清も、昭和一四年四月二六日妻亡あや子と婚姻届出をし、旧満州国安東市に居住して安東税関に勤務していた。
2 寺尾家の長男である被控訴人は、前記のとおり、その跡継ぎとするため、弟の寺尾清夫婦の子として昭和一四年七月二日に出生した控訴人を、右清及びその妻あや子夫婦並びに被控訴人の妻亡花子と相談の上、双方の了解のもとに、控訴人を、自己及びその妻花子の養子として、貰い受けたが、戸籍上の届出は、控訴人を、養子としてではなく、自己らの長女として嫡出子の出生届出をした。その後、被控訴人の妻の実妹で、当時、右百貨店の業務を手伝っていた喜久との間に、昭和一五年七月一二日節子をもうけたため、関係者の話合いの末、同女も、被控訴人夫婦の二女として嫡出子の出生届をし、以後、控訴人と節子の二人を同夫婦の実子として共に養育してきた。
3 昭和二一年頃、被控訴人は、妻亡花子、控訴人、節子とともに郷里の福井県に引揚げ、その後昭和二五年頃、大阪に出て、福井自動車や協栄商事の名称で、自動車の販売業や不動産業などの事業を営み、昭和三六年に、土地・建物の売買及び仲介業を目的とする協栄不動産株式会社(以下「協栄不動産」という。)を設立し、自らその代表取締役となった(<書証番号略>参照)。
4 控訴人は、昭和一四年七月に、被控訴人夫婦に引き取られて以後、被控訴人ら夫婦に、その実子として育てられたところ、被控訴人は、控訴人を被控訴人方の家業及び財産の承継者にすべく、将来はいわゆる婿養子をもらって家業を引継がせようと考え、控訴人の小さい頃から、控訴人に対し、その旨のことを教え込んでいた。一方、控訴人も、被控訴人の右意向を受け入れて、将来は、被控訴人夫婦の養子(婿養子)と婚姻して、被控訴人方の家業と財産を承継する積りでおり、自己が成長するにつれ、被控訴人の業務を手伝うようになった。
5 被控訴人の実子の節子は、昭和三七年三月頃、福岡稔純と結婚式を挙げ、同年八月一四日に婚姻の届出をして正式に結婚し、また、控訴人も、被控訴人の勧めで、同年五月五日に、田村(現姓寺尾)幸雄と結婚式を挙げ、同年六月一四日、右幸雄と被控訴人夫婦とが養子縁組の届出をすると同時に、控訴人と幸雄も婚姻の届出をして、正式に右養子縁組及び結婚をした。
そして、控訴人夫婦は、右結婚後、後記の如く、被控訴人方の仕事を手伝い、暫くの間は、被控訴人夫婦と別居していたこともあるが、右別居期間中も、食事は被控訴人夫婦と一緒にし、さらに、昭和三八年頃からは、被控訴人夫婦と同居して生活を共にしていた。
6 被控訴人は、昭和三八年六月には、控訴人の夫の寺尾幸雄を協栄不動産の株主(三〇〇株)にして(<書証番号略>参照)、同会社に新たに設けた写真部門(協栄カラー現像所)の責任者にしたが、同部門が軌道に乗ると、昭和四一年末頃、これを協栄不動産から分離独立させて、その営業を、二女節子の夫の福岡稔純に委ね、次いで、昭和四二年には、別に向陽不動産と称する個人営業の不動産業を始めて、その経営を右寺尾幸雄に委ね、また、控訴人は、その間、始終、亡花子とともに協栄不動産の会計等の事務に携わる等して、被控訴人の営む事業を手伝い、その財産形成に寄与してきた(<書証番号略>等参照)。
7 被控訴人夫婦と控訴人夫婦は、昭和四五年四月に、大阪市南区鰻谷中之町一五番一の土地を、被控訴人夫婦の共有持分を各一〇分の三、控訴人夫婦の共有持分を各一〇分の二として購入し、その旨の所有権移転登記をし(<書証番号略>)、翌四六年四月に、協栄不動産名義で、右土地上に、鉄筋コンクリート造陸屋根六階建の店舗、事務所(協栄ビル)を新築したところ(<書証番号略>)、被控訴人夫婦としては、行く行くは、右土地に対する被控訴人ら夫婦の共有持分を控訴人夫婦に相続させ、協栄不動産の経営も、控訴人夫婦に委ねる考えであったので、以後、控訴人夫婦を、被控訴人方から別居させて同ビルに入居させ、控訴人らに同ビルのテナントの募集や管理の業務を担当させていた(<書証番号略>参照)。
8 昭和四八年から同四九年にかけて、被控訴人は、心筋梗塞で入退院を繰返したため、その頃、協栄不動産の経営からは事実上身を引き、亡花子や控訴人夫婦に、その経営を任せるようになったところ、それに伴い、昭和五〇年二月には、控訴人の夫の寺尾幸雄の他に、控訴人も協栄不動産の株主とし、以後、増資のたびに、亡花子を中心に、控訴人夫婦やその子政晃、彰二の持株数を順次増やし、昭和六〇年三月当時には、協栄不動産の全株式のうち、被控訴人の持株が、二一〇〇株であるのに対し、控訴人と寺尾幸雄の持株が各二〇〇〇株(二人で合計四〇〇〇株)、控訴人の子供らの持株が合計一八〇〇株となっているが(<書証番号略>参照)、これも、将来、協栄不動産の経営を控訴人夫婦に譲るとの被控訴人夫婦の意向に添った施策であった。
9 また、被控訴人は、昭和五七年から昭和六〇年にかけて、毎年、亡花子、控訴人夫婦やその子政晃、彰二、及び福岡節子に対し、被控訴人所有名義の土地、建物を持分六〇分の一ずつ贈与していったが、これは、節税と同時に控訴人ら相続人と目される者ないしその子の将来の相続分に対する事前贈与の趣旨でしたものである。
10 亡花子が死亡するまでは、被控訴人と控訴人との間には、格別の不和はなく、被控訴人の側でも、控訴人が被控訴人及び亡花子夫婦の実子でないことに気付かないよう配慮していたし、また、控訴人も、真実、被控訴人夫婦の嫡出子であると信じて疑わず、自己が被控訴人夫婦の実子でないとは全く思いも及ばないままに、実親子としての生活関係を継続していた。
11 昭和六〇年一二月二九日花子が死亡したので、控訴人夫婦が中心となって右花子の葬式を行い、また、右花子死亡後、控訴人は、被控訴人の世話をするため、毎日のように被控訴人の家に行き泊ったりしていた。そして、その頃、被控訴人の老後の扶養につき協議したところ、独立して生活したいとする被控訴人と、被控訴人を引取り同居して世話をしたいという控訴人との間の意見の食い違いがあったが、被控訴人と控訴人とは格別不仲とならず、被控訴人は、その後も、控訴人夫婦に被控訴人の跡を継がせるべく、昭和六一年一月には、寺尾幸雄を協栄不動産の専務取締役に、控訴人を同取締役にし、さらに、同年一月一五日には、控訴人の長男の成人式を喜び、そのお祝いに一〇万円を右長男に贈与した。
12 以上のように、控訴人は、被控訴人及び亡花子夫婦の実子及び家業の跡継ぎとして、養育され、また、成人してからは、被控訴人の営む事業を手伝うなどして、その財産の蓄積や家庭生活の向上に貢献をしてきた。
ところが、昭和六一年一月二八日頃、被控訴人が、再婚したいとの意向を表明したのに対し、控訴人が亡花子の死亡後一年位は再婚しないで欲しいと述べて、これに反対したことから、それまでは、何事も自己の思うままになっていた被控訴人が、控訴人の右態度にひどく立腹し、被控訴人と控訴人とは急速に不仲となった。
そして、被控訴人は、控訴人の反対を押し切って、同年三月末に、斉藤知子と再婚したが、その前後の頃から、被控訴人は、控訴人に対し、「お前は、花子の娘ではない。」等といって、被控訴人と亡花子との間の実子であることを否定するようになり、同年九月には、控訴人が被控訴人及び亡花子との間の子でないことの確認を求める本訴を提起した。
一方、控訴人は、長年に亘り、被控訴人方家業及び資産の跡継ぎとして、被控訴人及び花子と実親子関係を継続してきたのに、突如として、被控訴人から、その実親子(嫡出子)であることを否定され、多大の精神的苦痛を受けた。
13 なお、被控訴人は、昭和六三年に、控訴人の夫の寺尾幸雄を相手方として、被控訴人と右寺尾幸雄との間の養親子関係不存在確認の訴えを提起したが、右訴えにかかる請求は、第一、二審とも、その請求を棄却された。
以上の事実が認められ、右認定に反する原審証人寺尾清の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
もっとも、被控訴人は、被控訴人と控訴人とは亡花子の死亡する以前から仲が悪く、また、控訴人は、二〇年以上も前から、控訴人が被控訴人及び亡花子の実子でないことを知っていたと主張するが、被控訴人の右主張事実に副う原審証人寺尾清の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
四以上認定の事実のように、(1)控訴人は、昭和一四年七月二日に、被控訴人の弟の寺尾清及びあや子夫婦の子として出生したところ、その直後、被控訴人及び亡花子夫婦と右寺尾清及びあや子夫婦が互いに、控訴人を、被控訴人夫婦の養子とする意思でその旨承諾し合ったうえ、被控訴人夫婦が、右寺尾清及びあや子夫婦から、控訴人を貰い受けたこと、(2)被控訴人は、その養子として貰い受けた控訴人を養子としてではなく、嫡出子として養育するのが望ましいと考え、自己の嫡出子と全く同様の親子関係を形成する意思のもとに、妻の亡花子とも相談して、昭和一四年七月一一日、便宜、控訴人を、自己の嫡出子として出生届出をし、戸籍にその旨記載されたこと、(3)その後、本件紛争が起きた昭和六一年一月末頃まで、約四六年余の長期間に亘り、被控訴人夫婦は、控訴人を、実の子として養育し、控訴人が成人してからも、現実に嫡出親子関係と同様の親子共同生活を継続してきたものであって、その間、被控訴人と控訴人とが格別不仲になったようなこともなく、むしろ、控訴人は、成人してからは、被控訴人方の跡継ぎとして、被控訴人方の家業を手伝い、その資産の蓄積や家庭生活の向上に貢献してきたこと、(4)被控訴人と控訴人が不仲になったのは、亡花子の死亡してから約一か月後の昭和六一年一月末頃、被控訴人が、再婚しようとしたのに対し、控訴人がこれに反対したことが原因であって、それ以後、被控訴人は、急に、控訴人が、被控訴人及び亡花子の間の子であることを否定し、右親子関係の不存在確認を求める本訴を提起したこと、(5)自ら控訴人をその嫡出子として届出た被控訴人が、右の様な理由から、約四六年余の長期間に亘る実親子と同様の生活関係を突如として否定し、子としての戸籍の記載が削除され、被控訴人の嫡出子としての権利義務をすべて失わせる結果を招くことは、単なる財産的にばかりではなく、精神的にも、控訴人の利益を著しく害することになり、一般の社会通念に照らし、信義則上、著しく不当な結果を招くこと、その他前記認定の諸事実や、さらには、昭和六二年法律第一〇一号により改正された現在の民法八一七条の二以下の特別養子については、戸籍上、養親子の続柄欄は、実親と同じく父母とのみ記載し、その長男、長女という実子と同様の記載をするものとされていることに照らして考えると、本件においては、信義則上、例外的に、被控訴人が、控訴人を被控訴人とその妻亡花子との間の嫡出子として届け出た右出生届出をもって、控訴人との養子縁組の届出とみなし、右出生届出の時に、控訴人との養子縁組が有効に成立したものと認めるのが相当である。
五そうとすれば、控訴人と被控訴人及び亡花子夫婦との間には養親子関係があるというべきであって、控訴人が、被控訴人の養子であることの確認を求める控訴人の反訴請求は理由がある。
第三以上の次第で、被控訴人夫婦と控訴人との間に実親子関係の存在しないことの確認を求める本訴請求は正当として認容すべきであり、また、控訴人が被控訴人の養子であることの確認を求める控訴人の反訴請求も正当であるからこれを認容することとし、控訴費用及び反訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官後藤勇 裁判官髙橋史朗 裁判官小原卓雄)